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2019年5月 3日
郡中の楽焼の系譜を伝える 昌山焼(しょうざんやき)

 昌山焼は、郡中・灘町の陶芸家、友澤荒一郎(ともざわあらいちろう)(昌山)が創作した楽焼系の工芸品。

昌山の父、友澤宇吉は、伊予郡大平村の友澤家に生まれ、郡中灘町に移り、神輿大工を生業としていた(転居した時期は不詳)。荒一郎は1904(明治37)年1月1日、伊予郡郡中町灘町114番戸に生まれる。生業は漆塗りであったが、楽焼に魅せられ、大正末期頃、郡中町湊町の江山焼(こうざんやき)窯元、槇鹿蔵(まきしかぞう)に教えを乞うたがかなわなかった。その後、砥部焼を始め松山の水月焼、伊予三島の二六焼などの窯場を見学し、陶工の技術と釉薬の研究に没頭。1927・8(昭和2・3)年頃には塗師は副業となり、自宅の裏に楽焼窯を構築して昌山焼を創作した。 昭和5・6年頃までの作品は、仁王像、三河万歳、布袋、大黒天、弥次郎兵衛・喜多八、種まき権兵衛、唐獅子、猿回し等であった。これらは焼き物愛好家に好評を博し、愛媛県の物産陳列所に陳列され、道後、別府、宮島、下関などの土産物店からの注文なども相次いだ。なお、仲田喜代子氏による「昭和12年前後の灘町の町並み」の地図に、友澤仏具店とあるのが友澤昌山宅であった。

昭和17年頃戦争で昌山焼の制作を中断。昭和23年頃から徐々に再開し、寒山拾得(かんざんじっとく)、鍾馗、山姥、弁慶と牛若丸、曽我兄弟などの人物作品や美川村の御三戸、岩屋寺の奇岩などの風景作品を制作した。また、昌山は字も上手で、近所に所在する栄養寺の注文で位牌の製作などもしていたという。作陶は1980(昭和55)年頃まで続けられたが、昭和61年病に倒れ、1990(平成2)年5月没した。

 江戸時代後期、郡中灘町の小谷屋友九郎は楽焼の制作からはじまり磁器・郡中十錦の創作に至り、明治中期には郡中町湊町の槇江山により楽焼・江山焼が創作された。昌山焼もまた先の2窯と同様に一代窯であったが、150年に亘る郡中の楽焼の系譜を伝えている。友澤家には、昌山の作品が大切に保管されており、昭和63年11月、昌山焼43件は伊予市指定文化財に指定された。友澤昌山は、郡中の昭和の名陶芸家であった。 (参考:昌山焼について 沖小三郎著、他)

昭和12年前後の灘町の町並み.pdf

写真は友澤家の昌山焼 山姥(やまんば)

お問い合わせ先:㈱まちづくり郡中内 2117郡中三百年祭の会 ℡089-946-7245