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2019年3月 9日
「伊予かすり」 と 「江山焼」 と 「牛飼ヶ原の松並木」

過日、愛媛県歴史文化博物館の「伊予かすり 絣文様の世界」を見学いたしました。よくこれだけ充実した資料を幅広く展示されたものと感心しました。期間中に見学されることをおすすめします。

その際、同展の冊子を購入し、読み進むうちに、伊予絣株式会社の広告と一緒に江山焼(こうざんやき)の広告も掲載されています。広告が掲載されている本は、明治44年に発行されたそうです。明治42年、伊藤博文が郡中町彩浜館に来遊し、江山はお庭焼きをしています。そのせいもあって明治44年頃の江山焼は、知名度も高まり広告の必要もなかったと思われる時期でしたから余計に興味深い広告でした。前後しましたが、江山焼は、明治26年頃から郡中町湊町の槇江山により制作された楽焼で、先の伊予絣株式会社と江山の自宅は、明治40年までは「向こう三軒」といった位置にありました。また、江山子孫の方によると、年代は不詳ですが江山の妻鶴代は、伊予絣の仕事もしていたそうです。この時代を生きた多くの人たちが、伊予かすり関係の仕事に携わっていたようです。

知り合いの方の勧めもあり、後日、広告が掲載された本「伊予郡の花」を図書館で閲覧しますと、「郡中港町通の光景」と題した写真が掲載されていました。写真には、湊町の旧家だった岡井邸が左側に写っています。そして、つい見落としがちですが、写真の道路の奥にぼんやりと木立が写っています。この写真で、牛飼ヶ原(うしこがはら)の松並木が、湊町の通りの正面に見えていたということを初めて知りました。往時の人たちは、この光景を見ながら日々暮らしていたのですね。牛飼ヶ原の松並木は、太平洋戦争中に油を採取するため伐採されましたが、明治末期~大正期頃の写真を見ると見事な大木の松並木だったようです。また、岡井邸は取り壊され現在は介護施設になっています。

「伊予かすり 絣文様の世界」の見学がきっかけになり、思わぬ広がりを見せて、江山焼の広告と牛飼ヶ原の松並木の新発見につながりました。 伊予絣株式会社と江山焼の広告、大日本帝国陸地測量部 明治36年測図・明治41年発行1/5万地形図 松山6号 に牛飼ヶ原の松並木の位置が記載されています。郡中港町通の光景も添付しています。下記をご覧ください。

Microsoft Word - 伊予郡眉家の花.pdf

Microsoft Word - 明治36年 牛飼ヶ原の松並木の位置.pdf

お問い合わせは、㈱まちづくり郡中内 2117郡中三百年祭の会 事務局(電話089-946-7245)までお願いします。