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2018年1月 2日
新春恒例の五色濱神社灘町十日戎が開催されます!

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

1月10日(水)、新春恒例の五色濱神社の灘町十日戎が開催されます。新しい年の来福を祈願しお誘い合わせてお参りされてはいかがでしょう・・。

 この祭りは、黒船来航の7年後に当たる1860(万延元)年に、灘町の法昌寺境内にあった住吉社もしくは、灘町の天神社にあった恵比寿社ではじまりますが創始地を特定する記録は残っていません。法昌寺は、灘町を開発した宮内清兵衛の子、宮内六郎右衛門通安によって、1680(延宝8)年に建立されています。天神社は1709(宝永6)年に、灘町中により建立されています。両寺社の建立の由来と、万延元年から明治42年までの50年間、祭りを継承し続けるには相当数の世話人さんが必要と思われ、これらから、灘町十日戎は、天神社にあった恵比寿社ではじまった可能性が高いと思われます。

 万延元年は、萬安港(ばんあんこう、現在の伊予内港)が完成して25年が経過し、港による交易で郡中の町は飛躍的に発展を続けた時代です。町の繁栄と商売繁盛を願って十日戎祭をはじめたのでしょう。祭りの創始者は、灘町で代々薬種商を営む小谷屋(おだにや)6代目当主七衛という人でした。この頃の小谷屋は本業の薬種商を営む傍ら、七衛の叔父、小谷屋友九郎が中国の十錦を模して制作した郡中十錦(ぐんちゅうじっきん)の販売も行っていたようです。小谷屋友九郎は、郡中に生まれた文化、磁器の華ともいえる郡中十錦を、小谷屋七衛は、新春の祭事、灘町十日戎をこの地に残します。郡中十錦は友九郎の一代窯で終わりましたが、数は少なくなったものの、その作品は残されています。1909(明治42)年4月、住吉神社と天神社を合祀し五色濱神社と改称しています。十日戎は、合祀の翌年、明治43年からは五色濱神社の世話人さん達により連綿と継承され、今年は、創始以来159年目の灘町十日戎の開催になります。このように、祭りがはじまった時代背景や、創始した人、そしてこれをつないできた多くの人達に思いをはせながらお参りできるのも地域に根付いた伝統的な祭事の良さともいえます。

なお、小谷屋が津田姓を名乗ったのは1870(明治3)年以後と思われ、津田七衛の名前は、明治6年の十錦手塩皿の箱書き、1894(明治27)年の彩浜館(さいひんかん)建設出資者、同年、郡中巷衢創業原誌碑(ぐんちゅうこうくそうぎょうげんしひ)寄付者に見られます。1920(大正9)年には、五色濱神社前に「十日戎 津田七衛 開祖」の碑が建立され、碑の側面には万延元年庚申正月十日開〇と刻まれています。

十錦焼手塩皿と津田七衛の箱書.pdf

えひめリビング新聞社編集による松山百点2018年1月新春号に、「愛媛の十日えびす」が掲載され、五色濱神社の灘町十日戎も写真で紹介されていました。新春らしい表紙と記事をUPしてみました。ご覧ください(下記をクリック!)。

松山百点 愛媛の十日えびす.pdf

 写真は、昨年の五色濱神社の灘町十日戎のようす

                                  平成30年1月2日 伊予市商業協同組合