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2017年9月22日
伊豫稲荷神社の絵馬 豊作祭礼風俗図

写真は、文久元(1861)年11月、奈田町より伊予稲荷神社へ奉納された絵馬です。大きさは、300cm×92cm。絵馬の名称は、愛媛新聞社発行「伊予の絵馬」では豊作祭礼風俗図とされ、伊予稲荷神社の説明文では豊年踊図とされています。奉納者の奈田町は灘町のことだそうですが、何故奈田町と表記したかは今のところ分かっていません。

今では、絵馬の文字は判読できませんが絵馬の右端には、

「近年続く豊作をよろこび、老若皆おどり、それを絵にして宝前に奉る(意訳)

 世のよきにつれて沢山稲すずめ  蓼邨」

と書かれているそうです。

蓼邨は江戸後期の伊予地域の俳諧の巨星といわれた仲田蓼村のことで、寛政6(1794)年灘町の辻屋に生まれ、文久3年に亡くなっています。奈田町から奉納にされたこの絵馬に蓼村が深く関わっていたことがうかがえます。 また、絵馬の句は蓼村晩年の句になります。

絵馬は、経年劣化がすすみ一部判然とはしませんが、芸人、おたたさん、相撲取り、武家、芸者、町人などさまざまななりわいの人たちが描かれています。ひときわ大きく描かれている人物は、この絵馬の作者かもしれません。描かれている人数は130人を超え、往時の灘町の風俗を知ることができる絵馬です。1861年といえば、萬安港が完成して26年後に当たり、郡中のまちが飛躍的に発展を続けた時代でした。小谷屋友九郎による郡中十錦の制作、蓼村らによる俳諧が流行・普及するなど郡中町人文化が華やいだ時代です。7年後には明治元年を迎えます。

この絵馬は稲荷神社宝物館に保管されています。正月三賀日、初午さん、土用干の日には、同宝物館は有料で拝観でき、伊予市指定文化財7点をはじめ数々の美術工芸品を見ることができるそうです。その他の拝観についても都合がつけば対応されるそうです。