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2017年9月アーカイブ

2017年9月29日

この絵馬には、幕末期の郡中のまちのようすや風俗が描かれています。

1. 作者は不明。

2. 絵馬の奉納者は「奈田町」で、実在しない町の名称が記載されています。

作者、奉納者共に不明の謎の多い絵馬です。

史料に乏しく確証はありませんが、絵馬の奉納者候補を推測してみました。

興味のある方は下記をクリック!

★稲荷神社 豊作祭礼風俗図3.pdf

写真は豊作祭礼風俗図・・・絵馬の右端部分に、絵馬の説明文と蓼村の句が書かれていたとされています。

 

 

2017年9月22日

写真は、文久元(1861)年11月、奈田町より伊予稲荷神社へ奉納された絵馬です。大きさは、300cm×92cm。絵馬の名称は、愛媛新聞社発行「伊予の絵馬」では豊作祭礼風俗図とされ、伊予稲荷神社の説明文では豊年踊図とされています。奉納者の奈田町は灘町のことだそうですが、何故奈田町と表記したかは今のところ分かっていません。

今では、絵馬の文字は判読できませんが絵馬の右端には、

「近年続く豊作をよろこび、老若皆おどり、それを絵にして宝前に奉る(意訳)

 世のよきにつれて沢山稲すずめ  蓼邨」

と書かれているそうです。

蓼邨は江戸後期の伊予地域の俳諧の巨星といわれた仲田蓼村のことで、寛政6(1794)年灘町の辻屋に生まれ、文久3年に亡くなっています。奈田町から奉納にされたこの絵馬に蓼村が深く関わっていたことがうかがえます。 また、絵馬の句は蓼村晩年の句になります。

絵馬は、経年劣化がすすみ一部判然とはしませんが、芸人、おたたさん、相撲取り、武家、芸者、町人などさまざまななりわいの人たちが描かれています。ひときわ大きく描かれている人物は、この絵馬の作者かもしれません。描かれている人数は130人を超え、往時の灘町の風俗を知ることができる絵馬です。1861年といえば、萬安港が完成して26年後に当たり、郡中のまちが飛躍的に発展を続けた時代でした。小谷屋友九郎による郡中十錦の制作、蓼村らによる俳諧が流行・普及するなど郡中町人文化が華やいだ時代です。7年後には明治元年を迎えます。

この絵馬は稲荷神社宝物館に保管されています。正月三賀日、初午さん、土用干の日には、同宝物館は有料で拝観でき、伊予市指定文化財7点をはじめ数々の美術工芸品を見ることができるそうです。その他の拝観についても都合がつけば対応されるそうです。

 

 

2017年9月14日

えひめ国体ビーチバレーボール大会が9月15日・16日・17日に五色姫海浜公園で開催されます。会場近くには、郡中町開町250年を記念して、明治27年に建立された郡中まちづくりの碑(郡中巷衢創業原誌碑・ぐんちゅうこうく創業原誌碑)があります。郡中のまちづくりの歩みを記し、先人の功績を称えている郡中の歴史のシンボルの一つです。9月14日、郡中まちなかの商業者等6人の皆さんのご協力により、まちづくり碑の草取りをしました。45Lのゴミ袋14個の雑草でしたが、添付写真のようにきれいに仕上がり、全国各地から大会に参加される方々への私たちの歓迎メッセージになりました。選手の皆さんは、培われた実力を存分に発揮されご活躍されることをねがっています。お時間のある方は、伊予市郡中訪問の思い出に、伊藤博文公の書を写した神額がある五色浜神社へご参拝され、あわせて郡中まちづくりの碑へもお立ち寄りください。

下記は、明治42年3月26日、伊藤博文公が彩浜館楼上で書いた五色濵神社の社号

★伊藤博文公 五色浜神社書.pdf

お問合せ先  郡中200年祭実行委員会(㈱まちづくり郡中内 ☎089-946-7245)