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2017年7月 4日
郡中二百年祭 郡中巷衢創業原誌碑の建設記録

郡中巷衢創業原誌碑については、伊予市誌等に詳しく記載されています。二・三気がかりな点もあり、念のため、灘町の旧家に伝わる「郡中巷衢(こうく)創業原誌碑の建設記録冊子」の調査も必要と考え、同冊子の写真撮影をしました。

この冊子には、碑の建設に向けての経緯が、全39頁にわたって詳細に記録されています。寛永13年、宮内兄弟により灘町の開発が始まり、明治18年は開町250年に当たります。豊川渉氏はこれを期に郡中のまちづくり記念碑の建設を計画し、明治18年1月、豊川渉氏の自宅に、宮内直吉氏、宮内治三郎氏、宮内六郎右衛門氏、宮内本三郎氏が集まり、宮内4氏に碑の建設について賛同を得ています。明治26年7月には発起人豊川渉氏、賛成者に宮内小三郎氏を加え宮内5氏が名を連ねて、碑建設の趣意書を町内各戸に回覧したようです。その趣意書には、寄付金は宮内六郎右衛門が預かるとされ、発起人の豊川渉氏と会計責任者の宮内六郎右衛門氏をはじめとする宮内4氏あるいは5氏とが碑建設の推進役を果たしたことがうかがえます。碑は三百余円の諸費で明治27年に竣工しています。仮に当時の1円が今の3万円とすると、碑建設諸費900余万円を関係有志57人・事業所の寄付でまかなったことになります。明治27年という年は、南予鉄道会社の創立、彩浜館の竣工など郡中の町が大きく発展した年であり、まさに意気軒高、日の出の勢いといった時代でした。灘町全戸に漏れなく祝餅を配り、明治27年7月22日正午より建碑記念式典を挙行し、式典終了後は新築された彩浜館で午後8時まで祝宴が行われたそうです。電気のない時代ですからランプをともして行われたものでしょう。なおこの日の祝宴が彩浜館の初めての使用で、この日以降に一般公開されたそうです。この冊子を記したのは、発起人の豊川渉氏と思われますが、著者と竣工までの詳細な経緯や年数等は、正確には同冊子の解読結果を待たなければ確定できません。また伊予市誌では碑建設趣意書の賛成者を宮内小三郎・宮内直吉・宮内弥三郎・宮内六郎右衛門・宮内本三郎の各氏であるとしていますが、この冊子には、「宮内小三郎、宮内直吉、宮内治三郎、宮内六郎右衛門、宮内本三郎」と記されています。

この冊子を所蔵されている旧家の方は「郡中二百年祭がなったら当家に伝わる古い文書を見ることもなかった」といわれ、互いに「郡中二百年祭」に感謝し合いこの日の写真撮影を終了いたしました。

写真は、五色浜神社の一の鳥居の近くにある郡中巷衢創業原誌碑