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お知らせ
2021年8月30日

株式会社まちづくり郡中内 郡中まち元気推進協議会では、9月1日、見出し小冊子を発行する運びになりました。

同冊子の内容は、

1. 湊町の増福寺にある岡文四郎墓碑銘の調査と岡家の墓碑の観察により新たに分かった事柄。

2. 伊予市誌等の萬安港関係記述の紹介。

になっています。岡文四郎と岡家の人々及び萬安港築港の様子について学びあう資料としてご活用ください。なお、同小冊子(A4版、20頁)はご希望の方には、プリントアウトしお渡します。但し、コピー代金400円が必要です。

詳しくは株式会社まちづくり郡中内 郡中まち元気推進協議会(℡089-946-7245)までお問い合わせください。

写真は、伊予内港(元 萬安港)入り口付近

2021年7月12日

1万1千円の商品券を1万円で販売する「伊予市商業協同組合の商品券謝恩セール」開催!

開催日時と場所

7月10日(土) 11時・キクヤ化粧品店

7月17日(土) 11時・片岡書店

7月24日(土) 11時・黒住教郡中教会所

商品券販売予定額 いずれも 80万円。お1様2万円限り

受付時間  いずれも 10:30~11:00

販売開始時間  いずれも11時

販売の順序  受付順

お問合せ先  (主催者)伊予市商業協同組合 ℡089-946-7245

写真は、7月8日、旧伊予市内新聞各紙にチラシ折込をした「郡中まちなか通信 4号」

2021年7月 3日

7月3日(土)、伊予市米湊827-4、手づくり交流市場町家(℡089-946-7245)で『町家 朝顔まつり』がオープンしました。

丹精込めて育てたいろいろな種類の朝顔を、暖簾がある長屋門入口の左右や町家駐車場などに合計156鉢展示しています。この季節、次々に開花していきます。お楽しみください。

写真は『町家 朝顔まつり』のようす

主催 郡中まち元気推進協議会

2021年6月25日

7月9日、16日、23日、19時から郡中まち元気サロン来良夢で勉強会があります。

参加希望の方はお申し込みをお願いします。

 五色姫伝説 仲田日記解説.pdf

2021年5月 5日

6月開催予定の伊予市ふれあい土曜夜市は、新型コロナウィルス感染拡大防止のため中止になりました。

2020年に続いて2年連続の中止になります。

寄稿者:伊予市ふれあい土曜夜市会  伊予市商業協同組合

2021年4月29日

 以前の当HPお知らせの内容と重複する部分もあるが、和泉屋等の概要を下記にまとめた。

 文化九年、和泉屋佐十郎は、船中安全を祈願して伊豫岡八幡神社に狛犬を奉納した。当初は、狛犬台座に刻まれている船名に関心を持ち、湊町の旧家の方に船名の調査を依頼したが該当する史料はなかった。

 次に和泉屋を調べてみると、大洲藩御用商人和泉屋治兵衛という人が、砥部焼の創始に関わっていた。そこで念のために、三月に発刊した『伊予郡中の俳人 仲田蓼村』で「和泉屋」を検索してみると、『漂泊記』と『雅俗人名録』に和泉屋の記述が見つかった。『雅俗人名録』は仲田蓼村筆の住所録で、「和泉屋治兵衛の所在地は、淡路町東堀濱東エ入」と判明した。砥部焼創始期とは時代が異なるが、大坂淡路町の和泉屋治兵衛は、仲田蓼村と何らかの交流があったことが判明した。灘町の仲田蓼村宅と大坂の砥石問屋の出店、湊町の和泉屋宅は約250mの近距離に所在していたとはいえ、これは全く予想外の出来事であった。

 急きょ「和泉屋」をもう少し調べることになった。その結果、寛政五年(1793年)、和泉屋佐重郎が作成した砥山定書の存在を知った。砥山定書の作成時期と狛犬奉納の時期が19年間と比較的近いこと、佐重郎と佐十郎は音読みでは同一であること、狛犬台座に刻まれている「湊町濱中」等から砥山定書の和泉屋佐重郎と狛犬を奉納した和泉屋佐十郎は同一人物と考えられ、本会では狛犬を奉納した和泉屋佐十郎は、大坂の砥石問屋で、湊町に出店していた和泉屋とした。しかし、和泉屋がいつから小川町(後の湊町)へ出店したかなどは不詳であった。わずかではあるが、和泉屋、伊予砥、砥部焼などに関して分かった事柄もあったのでその概要を下記に掲載した。

和泉屋3.pdf

写真は、和泉屋佐十郎の名前が刻まれている伊豫岡八幡神社の狛犬の台座 

寄稿:伊予郡中の俳人 仲田蓼村を学びあう会

2021年4月26日

 郡中湊町の富豪、唐川屋岡井九左衛門家文書は、文政年間から文久年間の幕末期、岡井家や湊町地区などに係る出来事を記述した備忘録で、令和2年に伊予高等学校教諭柚山俊夫氏により翻字された。この文書には、郡中郷土史上の新発見といった記述はないが、岡井九左衛門の息子又市郎が仲田和助(俳号蓼村)の養子になった事、仲田家が油株購入の際の資金は岡井家が出したこと、萬安港築造の功労者岡文四郎は天保二年(1831年)に亡くなってるが、嘉永五年(1852年)に岡文四郎が頼母子を開いたことなど、興味深い記述も見られる。これらからは、岡井九左衛門の息子又市郎が仲田家の養子になった年代、仲田和助の辻屋が種油を扱うようになった年代などが明らかになった。また、岡文四郎没後、子孫が同名を名乗ったことが推測された。

 過日、岡井家文書の記述内容の痕跡が残っていないか湊町の氏神伊豫岡八幡神社を訪ねてみた。以下はその結果の概要。

岡井文書検証 八幡神社.pdf

写真は伊豫岡八幡神社境内末社

   

2021年4月24日

 伊豫岡八幡神社拝殿前に鎮座している狛犬は、文化九年(1812年)、大坂淡路町の砥石問屋和泉屋の出店である湊町の和泉屋佐十郎が船中安全を祈願して奉納している。文化九年は、安広川の河口に、自普請で萬安港の築造に着手した歴史的な年に当たる。狛犬には12艘の船名と11人の船頭あるいは船主と思われる人たちの名前が刻まれている。12艘の船が、和泉屋の所有の船か、それとも和泉屋に雇われている船かは不詳。和泉屋は寛政五年(1793年)には、上唐川村組頭等と上唐川村産の砥石買受契約書を交わしている。従前からの砥部外山砥石に加えて、上唐川村の砥石も一手に販売し、文化十二年頃の和泉屋の商いは隆盛の一途であったと思われる。安政二年(1855年)には、湊町に和泉屋の店舗兼住宅を建設している。

 寛永13(1636)年、灘町・小川町(後の湊町)の宅地開発がはじまった。両町は伊予灘に面した砂礫地で米作などの農業は不適であった。当初から商いと漁業で生計を立てる以外に選択肢のない地区であった。次第に増加する人口を養うには相応の経済力が必要だがその源泉がどこにあったか? 両町の発展には海運・交易が深くかかわっていると推測されるがこれを補足する史料は乏しい。この狛犬は湊町の海運の様子を伝える数少ない史料の一つであり、湊町の商人の成り立ちを想像させる史料でもある。

参考資料

湊町、灘町の家数、舟数の推移.pdf

伊豫岡八幡神社の狛犬.pdf

写真は伊豫岡八幡神社拝殿前の狛犬

2021年4月12日

新型コロナ感染防止のため、郡中いっぷく亭趣味の教室は、4月12日(月)からしばらくの間休止いたします。

投稿:郡中いっぷく亭事務局

2021年4月 5日

平成2年4月1日、風早歴史文化研究会発行「風早 第23号」、竹田覚氏寄稿「松尾神社俳額」の項に同俳額の選者が仲田蓼村であった事と、俳額には蓼村の句「澄空や峯に一本薄紅葉 蓼村」も記されていたということ知った。旧北条市在住の方によると、今ではこの俳額は確認できないという。

約50年前、仲田蓼村の曾孫仲田肇氏は蓼村の足跡を調査研究し、親族に向けて毛筆手書きで「俳人蓼村」を作成した。また星加宗一氏は仲田肇氏の依頼を受け「伊予郡中の俳人 仲田蓼村とその作品」を著作した。仲田蓼村関係の主な資料はこの2冊であったが、松尾神社の俳額については、両冊子共に記述はない。令和3年3月28日、愛媛新聞に仲田蓼村の記事が掲載された。記事を見た旧北条市の方から「風早 第23号の松尾神社俳額」についてご連絡をいただいた。竹田氏の調査研究により俳額の内容が判明し、「風早」に発表されてから31年後の令和3年4月に本会もこれを知ることができた。

ご連絡いただいた方に厚くお礼を申し上げます。

「風早 第23号 松尾神社俳額」は下記をクリック

松尾神社俳額1.pdf 松尾神社俳額2.pdf 松尾神社俳額3.pdf

写真は、風早 第23号 「松尾神社俳額」に掲載されている松尾神社の写真

寄稿:仲田蓼村を学びあう会事務局